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No.24 あの頃のように素直な心で

画家:宮武貴久恵氏 (プロフィールはこちら)

「今、おいくつなんですか?」。取材を終えた若いインタビュアーに、笑顔で問いかける画家の宮武貴久恵さん。「とても素直に見えるわ。その素直さって、すごく大事。やっぱり成長するには素直が一番だと思って……ね」。子どものように素直な心のまま絵筆を振る宮武さんですが、純真無垢なその心は、画家にはなくてはならないものなのかもしれません。彼女に紡いでいただいたお話に、ふと幼い日の記憶がよみがえります。童心にかえり心を開いて、自然体で絵を愛でる――宮武さんの一言一言が、そんなひとときへと誘ってくれるようです。
季節は草木の芽吹く春。カラダにも健康な感覚が芽吹くよう、そよ吹く春風にリズムを合わせ、美術館をめぐってみてはいかがですか?きっと素直な気分になれるはずですよ。

そもそも画家になるきっかけというのは?小さい頃から絵を描くのが好きな子だったのでしょうか?

好きかどうかじゃなくて……子どものとき、私の落書きを見た母がひらめいたんです。窓際にちょこんと座って、すりガラスに指で描いた落書きが、たまたま寝ている人だったから……「あれ?この子、もしかしたら……」なんて感じでひらめいた。「たいていの子どもは立っている人を描くのに……ひょっとして」と思ったんでしょうね(笑)。それが、4歳のときです。絵と呼べるのかとても怪しいですけど、初めて描いた絵が寝ている人の姿で、それを見た母のひらめきがあって、それから絵を習うようになりました。それが、画家への一歩だったと思います。

落書きが始まりとは(笑)。わずか4歳で絵を習い始めてから5年、9歳のときに衝撃的な出会いをされたと伺いました。

9歳のとき美術館へ、「ピカソ展」を見に行ったんです。何気なく訪れた企画展なのに、これがもうすごくて。ものすごく感激して……「ああ、絵描きになりたい」っていう思いが、そのとき自分の中にはっきりと生まれました。ピカソの絵を見た瞬間にもう「絵描きになりたい!」って、あまりにもはっきりと決めてしまったんです(笑)。でも、それを聞いた母はさすがに、「ちょっと待って」と慌てましてね。絵を習わせてはいたけれども、やっぱり9歳の子どもが「私には絵しかない」と思い込むのが不安というのか……娘ながらにちょっと怖かったみたいですね。

何とも芸術家らしいエピソードですね。でも、初志貫徹で立派な画家になられました。今でもその頃の気持ちは忘れていないですか?

ピカソを見たのが9歳でしたけど、「何であのとき、ピカソだったのかな」って。大人になってから、ふと思うときがあります。好きな画家っていうのは、だんだん変わっていくものですけど、どうしてあのときピカソにあんなにも感激したのか、今でも不思議に思うんです。でも、考えてどうこうじゃない。やっぱり直に訴えてくるものが、ストンと子どもの心に入ってくるものがあるんですよね、絵画には。私も、ピカソの絵の内にある何か「見えないもの」に、魅せられたんだと思います。

子どもの心にスッと入ってくる、何か「見えないもの」。鍼灸の世界でいうところの「気」に通じるようなものなのでしょうか?

そうかもしれませんね。絵画というと何か「物(もの)」、たとえば富士山なら、あの特徴的な姿と山頂の雪とか「見えている姿形を再現する」と思ってらっしゃる方が多いと思いますけど、それだけじゃない。それ以上のものなんですよね。目に見えているものプラス、目に見えないものを描く。目に見えないものまで描き出す。その目に見えないものが、絵を見たときに、何か息吹のようなものとして伝わってくる。”放つもの”とでも言えばいいのかな?エネルギーとか、作家の気迫とか、思いとか……見ているだけなのに、そういうものをひしひしと感じます。

絵画に宿るエネルギーですか……。見えないのではもう、感じるしかないですよね?それにはやっぱり、美術館がいい?

そう、美術館。ちなみに私、美術館に行くときは必ず、食事をしてから行くようにしているんですよ(笑)。というのも、絵のパワーに圧倒されてしまうというか……見るだけなのに、ものすごくエネルギーが要る。創作って、普通に生活する以上のエネルギーがないと向かっていけないんですけど、そうやって画家も全身全霊で描いているから、真剣勝負というか、軽く見ようと思っても駄目なんですね。そうして実物と真正面に向き合うと、絵の持つエネルギーや気のようなものが自分の中に入ってくる。多くの絵に触れて、たくさんのメッセージをいただいて、自分の目で肌で「これはいいものだ」って感じること。そして、「人が良いと言ったから良い」じゃなく、自分の中で判断できるようになることが大切なんだと思います。

やはり実物は別物だということですか?

別物ですよね。タッチとか。たとえて言うなら……生き物ですよ。うん、本当に生き物。そこに宿るものは、図録になんか出てこない。どんなに高性能なカメラだって、やっぱりその〝何か〟は映せない。以前、某テレビ局の社長さんが「カメラの限界を感じた」っていうぐらい。撮れないんです、絵の持っている〝何か〟、雰囲気というのは。それを見て、感じとるためには、とにかく生の絵に触れて……いろんな絵を間近で見て、心のままに感じることが一番だと思うんです。よく「心を開いて」と言われるでしょ?そんな感じに近いのかもしれませんね。

幼い子どものように飾らない、素直な心にしか「うつらない」ものが、きっとあるのでしょうね。

絵の審査なんかすると、面白いんですよ。学年が上がるにつれて、絵がつまらなくなる(笑)。小学校1年、2年あたりが面白くてね、6年生ぐらいになると、もう本当に……そのまま。「姿形を再現しました」って感じになって、どんどんつまらなくなっていく。のびのびとね、おおらかに描いているものに、いいものがあったりします。それが、絵の持つ〝何か〟につながっているんだと思いますよ。大人になっていくと、だんだんに削られていってしまうから……そういう心を残していくって、難しいですよね。

お話を聞いていて、何か心が洗われたような気がします。最後にひとつ。今の時代、「現代」というテーマで絵を描くとしたら、いったい何色になるのでしょう?

今の時代って、危ういっていうか……すっきりした色にならない。混迷している感じ、ちょっと複雑で危うい感じがします。「ホリゾンブルー」って、地平線をイメージした薄いブルーがあるんですけど……強いて言えば、そうした「ブルー」でも「グレー」でもない、どちらにも向けるような、微妙な色が浮かんできます。これをすっきりした色、はっきりと時代の色にするには、現代はあまりに混沌としている。でもそれは、みんなで輝かせていかなくてはって思うんです。そして、その微妙な色を、たとえばはっきり「水色」と言えるようにするには、みんながそれぞれの世界で精いっぱい努力しないといけない、私、そう思うんです。
「ニューヨーク留学があって、旧東ベルリンの壁に「世界の平和と統合のため」の壁画を描くプロジェクトに参加、そして、ベルリンから日本に戻って震災を経験して……今ここに居るのは、自分が正しい場所に居ると思えてならない」。その素直さゆえに、時代の悲しい出来事にも心を痛めてきた宮武さん。そんな彼女が〝正しい場所〟と言う三重県の大自然を素材にした「天使の舞い降りるところ」の制作が、今進んでいます。「そこにはセンペルセコイアという巨木が育ち、大きな慈愛と温もりが感じられる。テーマのように本当に天使が舞い降りるところと思えるような、人々の希望や豊かさ、未来に向かう知恵を描いていきたい」と微笑む姿に、なぜかほっとさせられたひと時でした。宮武さんの思いが宿る「天使の舞い降りるところ」は、きっとみずみずしい、はっきりとした色に包まれた楽園になるのでしょう。
 

宮武貴久恵氏プロフィール

1979年
ニューヨーク・アートチューデンツ・リーグに留学/抽象表現主義の巨匠リチャード・プーセットダートに師事
1983年
ナショナルアートクラブ展名誉賞受賞
1986年
ニューヨーク・アートチューデンツ・リーグ2年連続ベストイン賞「滲み出る光」、学校の永久コレクションになる
1987年
ニューヨーク・ブロードウェイにスタジオ開設
1988年
フランクフルト・マッキャン・エクソンで個展
1989年
中日新聞「アートトレンド」欄にニューヨークの美術記事連載
1990年
ニューヨーク・ストラウス画廊でグループ展/ニューヨーク・ソーホーT&Nギャラリーで個展/ベルリンの壁に壁画を描く
1993年
14年間の渡米生活を終えて帰国
1999年
ゲーテ生誕250年を記念したフランクフルトのアートコンクール「ゲーテ99」で受賞
2001年
ベルリンのギャラリー・ゾーンFで個展/フランクフルト・マッキャン・エクソンで個展
2009年
ベルリン再訪し壁画修復/三重県立美術館県民ギャラリーで「宮武貴久枝50周年記念絵画展」開催
2014年
テーマ「天使の舞い降りるところ」で制作活動
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