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No.20 本居宣長のコミュニケーション術

千三百年余りの歴史をもつ「式年遷宮」。二十年に一度、伊勢神宮のご神体がお住まいを遷される神事は、この十月に行われたばかり。日本古来の伝統文化が今も息づく“伊勢の国”にあって、三十三年の間「本居宣長記念館」に籍を置いて、宣長の功績を朝から晩まで許す限りの時間を使って調べてきました。類まれなる集中力で『古事記伝』を著し、それまで埋もれていた『古事記』に光を当てて、よみがえらせた宣長。その彼が生きた江戸の世は「今よりも多少面倒があっても、豊かな時間にあふれていたのではないか」…本居宣長を知れば知るほど、そう感じてなりません。

世の中すべてが文字で表現され、また記録されていくのが当たり前―でも、実はそうじゃない。今から千三百年前、時期的に「式年遷宮」と重なるのが面白いと思っているんですが、「大宝律令(日本最古の法律)」が制定されてからです、

日本が急速に文字の世界に入っていくのは。それよりも前、人のコミュニケーションは声、言葉が中心でした。記憶される時代が終わり記録の時代に入る、そうした文化の過渡期にあった〈記憶〉に、千年ののち、光を当てたのが本居宣長という人物です。日本最古の歴史書である『古事記』をつぶさに研究し、全四十四巻の注釈書『古事記伝』を書きあげ、『古事記』を世に送り出すきっかけを作った―まさに時空を超えた、超人的な偉業だと思いますね。

『古事記』も、その手引書となる『古事記伝』も、みなさん難しくて読めないとおっしゃる。昔の書物ですから、たしかに難解かもしれない。そこで問題にしていただきたいのは、「声に出しているか?」ということ。それまでの文化を考えればわかると思いますが、これはとても大事なことなんです。黙読されていたとしたら…まず、それがいけない。あれは、音読しないとダメです。音読して、“停滞”しないこと。黙読するとなぜダメなのかというと、分からないところで止まってしまう。意味が分かるまで読もうとする。これが、いけないんです。そして『古事記伝』で言えば、書き進める宣長の姿を思い描き、彼のリズミカルな思考に触れながら読もうとすれば、自然と音読になるはずで…それが宣長独特の“リズム”に乗るということなんです。宣長は、一日のかなりの時間を使って歩いています。この歩いている時間、つまり“動いている”時間が、彼にとって思考の時間。だから、その思考が躍動するのです。私たちは、本を開かないと、机に向かわないと学問ができないという。そうかもしれません…でも、宣長は違った。彼は頭の中に「素材」を全部入れて、つまり記憶して、それを検索し整理しながら歩いていた。だから、机に向かったら、すぐに書き始めることができたはずです。「さあ何を書こうか」と、机の前で考える必要なんてない。それが彼の“リズム”につながっていったのでしょう。思いついたことを“最短”で“最適”な文章にするため、宣長には歩く時間が必要だったのではないでしょうか。彼が六十四歳のとき、友だちに「私は還暦を過ぎても、痛い腰をさすりながら、朝から晩まで走り回っている」と書いています。これが宣長の実際の生涯だと思います。彼の文章は非常に具体的に書かれていて、読みやすく内容がよく分かる。「なぜ百姓一揆が起こるのか」「なぜ人が飢えるのか」「世の中ってどうあるべきなのか」ということが、平たく記されている。同じ江戸時代に書かれた本と読み比べてみれば、断然宣長の方が読みやすいはずです。それはなぜか。宣長の設定した“テーマ”が、このように具体的であること―でも、それだけではないと思うんです。やっぱり“リズミカル”という部分が影響している。そして、机には向かわず、動き回りながら考えをめぐらせていることで、思考自体がとてもなめらか―これこそが、そのリズミカルな文章の秘訣なのだと思います。

今、パソコンを使い過ぎたりすると、文字が書けなくなる。本当に漢字を忘れたりする。メールばかりで、「会話ができなくなる」というのも、よく聞く話です。文章を書くような仕事をしていると、文章がダメになってしまうというか…無駄ばかり多くて、しまりのない文章になってしまう。それは“コピペ”、つまり文章を簡単に“切り貼り”していくから、メリハリがなくなってしまうのでしょう。

こうなってくると、千三百年前に日本人が体験したことと同じことが、今起こっているんじゃないか。長い言葉の時代を終えて、文字の時代に入っていったときに体験したことと同じような大きな変革期に、今、差しかかっているんじゃないか―そう思います。もちろん文字にはすばらしい利点がたくさんあります。学問だって、そもそも文字がなかったら成立しないものですよ。だから、文字というものがあって初めて豊かな生活というか、知的な活動もできることは事実なんですけど、ただ、その代償もやっぱり大きい。そのことに敏感に反応したのが、宣長ではないか。文字というものを選んで、便利な生活になったときに、失ったものの大きさ。つまり、言葉がもたらしてくれた大切なものに気づいたのが、宣長という人の学問ではなかったかと、あらためて感じます。そして、その大切なもののひとつに、「時間」があるのではないかと思うんです。

写真提供:本居宣長記念館
本居宣長(1730~1801)
18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆。
例えばこの(記念館の)二階に、宣長の雑記帳というか備忘録が展示してあります。そこに「八月二十四日の手紙が十一月に届いた」と書いてある。どこからの手紙かというと、九州の熊本からです。つまり手紙が届くのに、二カ月以上かかっているわけです。この二カ月という“時間”が、とても重要なのだと思っています。

江戸(東京)と松坂との間には、四百三十キロという距離があります。宣長の時代、この四百三十キロという距離が生む“時間”、“間”というものが、とても重要な働きをする。それはどういうことか。宣長の先生である賀茂真淵はよく怒ったそうです。でも真淵は江戸に居る。今ならメールで一言「ばかやろう」で済みますが、手紙ではそう簡単にはいきません。まず、時候の挨拶から入って、それから「この前の手紙は大変不愉快である」「今後一切、返事は書かない」という風に綴らなきゃいけない。それが手紙の作法というものです。手数も多くて、手間もかかる。で、どうなるか。江戸で手を振り上げても、四百三十キロ離れた松坂に届く間には、おだやかな文言になってしまうわけです。手紙を書くことで、書き手の気持ちは和らげられるのです…。

今でも似たようなことがあります。学生が、親元から離れた所で生活していると、子どもが無茶苦茶なことをしていても、怒るに怒れない。それが“距離”というものです。ところが、最近では、至るところで距離がなくなってきていますよね。手紙もそう。インターネットやメールに情報を伝える、メッセージを伝えるための座を奪われ、「書簡」という文化も消えつつあります。距離が“消えて”しまったことで、気持ちや文章の熟成する時間がなくなった。それがかえって「気持ちが伝わりやすいんじゃないか」「ストレートに伝わるんじゃないか」…そうじゃない、逆です。手紙を書くという行為には、たとえ三十分でも一時間でも“考える時間”というものがある。半月かかるときだってある。ときに「作法=形式」というものがなくなってしまうことで、思ってもいない、本心でない言葉が出てしまう場合もあるわけです。文章読本にあるような「一晩おいて読み返す」ようなことが、宣長の時代ではごく普通のことだった…どちらの時代が豊かであるのか、よくは分かりませんけど。

千三百年前に迎えた大きな転換期と同じことが、今、起きているのかもしれない。
言葉から文字の文化へ。その過程で失われたものが何であったのか、それを知る絶好の機会とも言える。

体が健康なら良い言葉も出てくるし、怒っていれば言葉が荒くもなるし、おだやかならば言葉も優しくなる。体の状態によって、人の言葉が変わるのは間違いありません。しかし、宣長は、「姿は似せ難く、意は似せ易し」と言っています。つまり、逆。言葉が整えば、体の中は整うと言うんです。心の中を整えるのは難しいけど、言葉を飾るのはちっとも難しくない―私たちは、そう思ってしまいますが、実は逆なんだということを言っています。そして、「辛かったことや悲しかったことは、言葉にして人に聞いてもらうことで減っていく」とも。

「気の毒だったね、かわいそうだったね」と理解してもらうことで、人間の悲しみというのは、少しずつ癒えていくものなんです。反対に喜びというのは、倍々に増えていくと。つまり、うれしいことはどんどん膨れていく。人に話して「おお、すごいじゃない、良かったね」と言われれば、うれしい気持ちが大きくなっていく。ここに歌であるとか、あるいは物語というものが生まれる源泉があると考えています。そういう素直な気持ちを表現することで言葉には力が宿る…。

うつくしい日本語が、きれいな心身をつくる。
内面に言葉の力を宿して、品のある人生を過ごしていけたら良いと思う。

宣長の言葉を借りれば、言葉が廃れたら心が滅びるわけですから…心だけが残ればいいというのは嘘で、言葉が廃れることによって、心も無くなってしまう。つまり、メールでも何でも、伝える言葉が貧しくなればなるほど、心はそれ以上にもっともっと崩れていってしまう、そういうことなんだろうと思います。だから、一言、一言を真剣に選び、言葉を紡いでいく必要があるんです。言葉や文字がきちんとすれば、自然と心がしゃんとしてくる。何となく分かるような気がしませんか?

今の時代、うまく言葉が、日本語が残っていくかなと、ちょっと心配になるところがあります。宣長が現在を生きていたとしたら、どう思われるか。これだけメールが普及してくると…彼をしても、もう打つ手はないんじゃないかとも思いますけど(笑)。いや、もしかしたら彼のことだから、うまい解決法を見つけ出すかもしれませんね。

若い人たちが「コレ、かっこいい」と感じてくれて、何かを真似してくれたらいいと願っています。ただ…一言、二言の短い言葉には敏感でも、文章そのものに対して「かっこいい!」という反応が、なかなか出てこない。いい文章なり詩なり、そういうものを学校で暗唱させるなりして、感性を磨いていくのが良いんじゃないかと思いますね。若くても上品で洒落た文章を書ける人がどんどん現れてきたら…素敵なことじゃないですか。

『玉くしげ』の中に書いてありますが、世の中には良い神様と悪い神様がいて、その二人が交互に…「禍福はあざなえる縄のごとし」と同じことです。良いことがあったら、悪いこともある。そこで、「心配しなくても最後は必ず良くなっていく」というのが、宣長の世界観です。彼に言わせれば「悪いときもあれば良いときもある」ということなんだけど、どうもそうではなくて…今は、どんどん悪くなる一方じゃないかと。第一に、国を代表する立場の人の言葉使いが悪くなってきている。言葉にも重みがまったくないですよね。若い人に“示し”がつかない。これでは宣長さんだって叱るはずです。私たちも、まずは先輩諸氏の一人として、よどみなく流れるように日本語を話し、書くように心がけたいものです。

 

本居宣長記念館

公益財団法人鈴屋遺蹟保存会が運営管理する登録博物館。江戸時代の国学者・本居宣長の旧宅「鈴屋」を管理して公開し、展示室では『古事記伝』などの自筆稿本類や遺品、自画像などを公開。また関連資料の収集や、宣長に関する調査や研究も行っている。
住所:〒515-0073 三重県松阪市殿町1536-7 電話:0598-21-0312
開館時間:午前9時00分~午後4時30分 休館日:月曜日・年末年始
入館料:本居宣長記念館・旧宅(共通) 大人400円/大学生300円/子供(小学4年から高校生)200円 ※団体・身障者割引有り
ホームページ:http://www.norinagakinenkan.com
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