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No.8 伝統を未来につなげる鍼灸を活用した日本型医療の創生について

慶應義塾大学医学部漢方医学センター
診療部長・准教授 渡辺賢治先生 (プロフィールはこちら)

今回の研修会は、「日本の鍼灸を鍼灸師自身が考え、自ら進んで“デザイン”していこう」をテーマに企画されました。
鍼灸師自身が鍼灸をどうしたいのか、そして治療を受けられる患者のみなさんが、日本の鍼灸に何を期待しているのか…簡単に答えが見つかるものではありませんが、渡辺賢治先生のお話をもとに、みなさんと一緒に考えていければと思います。

日本の鍼灸には「有効性を示すデータ」、つまり「臨床研究」が少ない。

鍼灸も漢方も、このところ新聞に取り上げられる機会が増えています。ポジティブな取り上げ方もあれば、ネガティブにと、いろいろあります。これは1月16日付の毎日新聞ですけれど、保険の適用を軸にした「しんきゅう」の話が載っています。どちらかというと、少しネガティブな内容かもしれませんね。

この記事によれば、6つの疾患には鍼灸でも保険の適用が認められているとか。では、その制度を十分に活用できているのかというと、なかなかできていない。治療院側が保険制度をうまく活用しておらず、患者さんの認知度も低いから、とされていますが、「有効性を示す信頼度の高いデータ=臨床研究が少ない」ことも理由のようです。

そもそも鍼灸の臨床研究は成り立つのでしょうか?臨床研究というのは、必ず比較で両者に差があるという仮説を基に研究デザインを決めます。ドイツでは10年ほど前から大規模な無作為比較試験を行い、鍼灸の有効性を示すデータの収集に成功していますが、こうしたデータが日本では少ない。鍼灸の現状は、毎日新聞が伝えるとおりではないかと思います。

“腕の差”を、どうやって解決、標準化していくか…これは厄介です。

日本の鍼灸は、やっぱり匠の技なんです。私自身、こうした日本の匠の技というものを残していきたいと、常々思っています。そこで、じゃあその「匠の技とは何か」が大きな議論になります。

あえて言わせてもらえば、日本の鍼灸には、やはり腕の差がある。そして、巧い先生は、独自の“はり”をして、ものすごい治療効果を上げるんだけれども、それが若い先生に伝わることがない。学校を卒業した後のトレーニングがきちんとされていなくて、治療法の標準化もできていない。要するに卒後の研修の仕組みが不十分なところに、“匠の技”を残す難しさを感じています。

トレーニングを受ける機会が無かった先生は、なかなか上達しない。今の若い世代の人達が将来どれくらいの腕に達するか。これが“伝承”なのだと思いますけど、これは、熟練の先生方の教育に対する努力次第じゃないでしょうか。鍼灸に限らず漢方もそうなんですけど、歴然とした“腕の差”を、どうやって解決して、どうやって標準化していくか…これは困難な問題です。しかし、この問題を解決することが、「匠の技とは何か」の議論に終止符を打つことになると考えています。

これからのためにも、“標準化”は考えなければいけないと思うんです。

“標準化”というと、すぐに“マニュアル”という言葉が浮かぶと思います。特徴的なのが中国です。中国ってマニュアルの国なんですね。誰もができるような仕組みを作ってしまう。例えば、銅人形にみられるように“つぼの位置”も測定できる位置に決めている。世界的に見ると、WHOも標準的な“つぼの位置”を公開していますね。これに対して、私の知る日本鍼灸は、筋の走行とか腱の走行、そういったものに沿って“すぅーっ”と触られて、「あ、ここですね」と“つぼ”を決める。標準化された“つぼの位置”(WHOを正当と認めるかどうかは議論があると思いますが)すら気にしないという先生も、多くいらっしゃるはずです。

標準化を図ったものとは全く関係ない、“独自のつぼ”で治療して、それで効果が上がっているんだから…文句はないでしょう?これが大半の先生方の言い分だと思います。私は“90%”それに賛成です。しかし、これでは「臨床研究ができない」し「教育もできない」。やはり標準化は考えなければいけないと思うんです。国際化という場面でも、圧倒的に不利になります。

街中に咲く“匠の技”を、今残さなければいつ残すのか?

カリスマ的な、マスコミに出るような先生が良い先生とは限らなくて、本当に腕の凄い先生は実は隠れていたりするんですね。以前「鍼灸の一番の問題点は?」という話が出たとき、本当に腕の良い鍼灸師さんが教育機関ではなく市中にいることだと(笑)。そういう腕の立つ先生方が、どうやってその技を若い人に伝えていくのか?鍼灸学校とタイアップするとかして「“卒前卒後”を連続して考える」ことがポイントだと思うんです。

先生方もお若いときには、自分のお師匠さんのようになりたいと、一日でも早くなりたいと思われたんじゃないですか。この心を大切にしながら、どうしたら教育の場を整えられるのか。このことを想像してみてください。

「日本の針はすごいんだ、俺の針はすごいんだ」と、威張るのではなくてですね、やはり今の時代、公開することがとても重要だと感じます。世に素晴らしいと言われる匠の技を、今残さなければいつ残すのか?よくよく考えていただきたい。

医者の場合は“チーム制”を敷いて、診療にあたっています。

鍼灸学校で教えることは、いろんな流派の知識に過ぎません。実践レベルまで教わり、卒業したと同時に臨床ができる人はほとんどいないと聞いています。

患者の立場から言うと、お金を払うのに、ペーパードライバーにやってもらいたいとは思わないですよね?特に鍼灸は針をさされるわけですから、患者さんとしては、それは経験豊富な先生にやって欲しいはずです。でも、それをやっていたら、若い先生方のトレーニングにはならない。では、どうするか?これを考えていければと思うんですね。

医者の場合は必ず“チーム制”を敷いていて、「若い医者」「中ぐらいの医者」「指導医」の編成で診療にあたっています。そして、何かあったら上がカバーする。手術だってそうですよね。最初から研修医に任せたら、大変なことになるわけです。こうした“チーム制”の考えを鍼灸にも応用できれば少し道が見えてくるような気がします。

日本型医療の創世には、やはり“国”の積極的な支援が望まれます。

もう一つは臨床研究。これには、やはり国策が必要なんだと思います。日本では、国の支援が足りないんじゃないですか?よくアメリカの例が出されますけど、中国も“研究費バブル”でですね、二十数億の費用が拠出されていたりします。

では、日本はどうか。研究支援の枠組みはあるものの、日本の伝統医療を国内でどのように熟成させて、そして世界に打って出るか。こういう戦略は一切無いという“お粗末”な現状です。政府の、より積極的な支援が望まれるところでしょうか。

「漢方・鍼灸を活用した日本型医療創世のための調査研究」という“厚生労働科学研究費補助金特別研究”結果の最後に、「施策推進のための組織的整備」とありますが、戦略としてのグランドデザインが無いと、また、鍼灸のエビデンスを作るんだぞという意志が無いと、事は運ばないと思います。医療機関との連携も含め、グランドデザインをきちんと描くことが重要です。

今年に入って内閣官房に設置された「医療イノベーション推進室」は、こういったことを推進するための大きな起爆剤かなと考えています。このような政府機関に伝統医療そのものの見直しも含めてやってもらう。そして、その中で「これは議論すべきだ」という声を先生方の団体から発していただければいいかなと思います。

日本の鍼灸は、ある意味で芸術。広く世界へと発信してもらいたいですね。

今の日本の状況を考えると、鍼灸が生き残れるかどうかの、まさに瀬戸際だと思うんですね。こうした危機的な状況において、先生方は鍼灸をどうしたいのか。このことをまずお考えいただきたいと強く願います。

中国系の鍼灸師さんのところに行くと、「ぎゃあ」とか「わぁー」とか患者さんが叫んでいる。元の痛みを忘れちゃうのは、そのせいじゃないかと悪口を言う人もいます。ある方が言っていました、「ぶっとい針でとても痛い」と。これに対して日本の針は、本当に精緻で、浅い針で効果を出します。日本の鍼灸は、ある意味で芸術だと思うんですね。

確かに日本の針は、中国の針に比べてすばらしい。痛くないし、効果も高い。ただ、国際化を考えたら、それを国内で叫んでいても意味が無いんです。こうした他の国では真似できないものを、国際会議の場において提案いただき、日本鍼灸の匠の技を広く世界へと発信してもらいたいですね。

「人間をシステムとして捉える」発想は東洋独特、西洋医学にはありません。

頭痛があるからと言って、ただ一律にツボの位置を決めて治療するというのは(ドイツなどではそういうスタディを組むんですけど)、ちょっと違和感がありますよね。おそらく先生方は、脈を診て、ツボを決めて一人一人違うオーダーメイドの鍼をしていると思うんです。通り一遍の研究デザインでは、個々人への丁寧な対応は反映されません。

それと、頭痛がよくなったかどうかをどうやって判断するのか。伝統医療では、多くの場合、患者さんの訴えに耳を傾けるんですね。客観的なものよりは主観的なもので判断している。頭痛であれば、頭痛がよくなることが大事だと先生方は考えていらっしゃると思います。つまりは患者さんが中心、患者さんの主観で動いているわけです。

じゃあ、頭痛だけ治るかというと、これがそうでもない。頭痛だけ治すというのは、ひどく西洋医学的な考え方です。人間の体というのは、そうではありません。漢方の場合で言うと、頭痛と同時にむくみも、吐き気も治るし、汗もかくようになるとかですね、いろんなところが治っていく。先生方も針をやりながら、そこだけを治そうと思っていませんよね。こうした「人間をシステムとして捉える」という観点は、西洋医学には全く無い発想。東洋の伝統医療独特の考え方です。

コンピュータに解析させて、デザインは人。考える主体は、あくまでも人間なんです。

では、伝統医療のひとつである鍼灸にふさわしい研究デザインとは何か?これを考えるべきかなと思っています。ドイツなどで実績がある「無作為化比較試験」を駆使して、我々が西洋に合わせていくのか。それとも東洋ならでは思想をもって「デザインはこうあるべきなんだ」と主張するのか。それを考えないといけない。もちろん、そのやり方が妥当であることを証明しながらですが。私が今、厚労省から費用をいただいて研究しているのは、まさしくこの部分で、漢方の研究データを出す前に「漢方の臨床研究のやり方を考える」という研究なんですね。

個別の対応であるとか、患者の主観を重んじながら「どうやって生体システムの変化を表現するのか?」という研究です。今は個別の情報を集めた“データマイニング”という手法で実践しています。個々の患者さんの情報を集めて、コンピュータに解析させる。そして、匠の技をあぶりだすのが目的です。

今の時代は、そうした複雑系の解析もコンピュータがはじき出すことも可能です。一人一人に同じ治療をするのは、鍼灸のセオリーからしても間違っているわけです。一人一人違った治療をしてもいいんですよ。「ある人のあるツボにある治療をしたら、何ヵ月後にこうなった」、こうした情報を集積してコンピュータがデータマイニングという手法ではじき出すわけです。それをもとにして、あとは先生方が、患者さん一人一人を見て治療を進める。何もコンピュータに従うわけではないんです。考える主体は、あくまでも人間なんですから。

切なる想いとして…日本の匠の技を残したい。

現実を見て不可能だとしてしまうと、もう限界です。「理想はこうだから、こうやろうじゃないか」としなければ、自分達の匠の技を残せないと思うんですよね。だから、どうやって今のコンピュータとか情報技術の中で残していくのかと、データの範囲をどこまでにするのかと、最初から無理だと言うのではなくて、どうすれば実現できるのかをお考えいただければと願っています。

くり返しになりますが、日本の匠の技を残したいと想っています。先生方には、どうやったらそれを残せるかということを考えていただきたいんですね。伝えたかったメッセージというのは、これだけです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

平成23年1月22日、日本鍼灸会館2F講堂で行われた「第3回理事及び会員研修会」での渡辺賢治先生の講演内容をもとに、けんこう定期便編集委員会が取材、編集して掲載しています。
 

渡辺賢治(わたなべけんじ)先生プロフィール

慶應義塾大学医学部卒業。
慶應義塾大学医学部漢方医学センター 診療部長・准教授。
米国内科学会上級会員、日本内科学会専門医、日本東洋医学会副会長・指導医。
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