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けんこう定期便

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No.27 人を変えるのは素直な心

陸上(障がい者スポーツ)選手:春田純氏 (プロフィールはこちら)

「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」への出場に向けトレーニングを重ねる陸上(障がい者スポーツ)選手 春田純さんは、その練習と会社員としてのお仕事を両立させるかたわら、ご自身の経験から得た考え方や生き方を伝える講演活動なども行っています。
今回、活動拠点のひとつでもある静岡県内の陸上競技場で、日々のトレーニング方法や体との付き合い方、「東京2020パラリンピック競技大会」への思いをうかがいました。

「東京2020パラリンピック競技大会」に向けて、どのようなトレーニングをされているのでしょうか?

健常者用のメニューと同じトレーニングをしています。軽いジョギングから始めて、体を温めた後、ドリルと呼ばれる陸上競技のための準備運動を40分間、それからランニング練習を約2時間行います。ランニング練習では、スタートダッシュの練習をした後、100m、120m、150m、200mと距離を伸ばしながら最長400mまで、それぞれ1本か2本走り込みます。この練習メニューを週に3~4回行って、その間にジムでウェイトトレーニングをしています。

トレーニングはお仕事の後にされているのですか?

帰宅後、18時から21時までの3時間やっています。地元が静岡県清水区なので、清水総合運動場か草薙総合運動場を利用しています。
会社が休みの日曜日もイベントや講演活動をしているので、“陸上”に関わらない日というのはないんですよ。

40代になって感じた体の変化や、これまでと変えたトレーニング方法はありますか?

今年で42歳になりますが、トップアスリートの中では最年長組なんです。回復するのに時間がかかるようになりましたね。100m走って歩いてスタート地点へ戻ってまた走る、これをウォークバックといいますが、以前は10本できたのが今は7本くらい。そして、1本走った後、次に走り始めるまで20代の頃よりインターバルを長く取るようになりました。
また、若い頃は1本を8割から9割くらいの力で走り込んでいましたが、今は6~7割くらいの力で本数を重ねています。疲れてフォームが崩れたり、重心がうまく取れなかったりでは、練習として良くありません。正しいフォームでしっかり重心を取ることに重点を置いているので、本数にはあまりこだわっていないんです。
若い時はどんなに走っても全然疲れないし、合宿の時は午前も午後も走り込んでウェイトトレーニングもしていましたが、今それをやったら体が持たないです。怪我をしてしまったら元も子もないですからね。

20代の頃と違って体との対話が必要なんですね。

はい、自分の体を素直に感じ取る感覚がとても大切です。ずっと続けているとその感覚が分かってきますよ。例えば、これ以上やると太ももの筋肉やアキレス腱を痛めてしまうなと判断できるようになります。そこまで追い込んだら練習量や練習方法を調整して、ケアをしっかり行うようにしています。

義肢装具士の沖野敦郎(おきの あつお)さんとの出会いが、競技選手を目指すきっかけになったそうですね。

脚を15歳で切断して25歳で沖野くんに出会うまでの10年間は、義足であることへのコンプレックスがとても強かったんです。人前に出たり、買い物や遊びに行ったりすることが嫌でした。そんな気持ちが沈んでいる時、たまたま新しい義足に作り替えるために入院をした病院で、実習生として働いていた沖野くんと出会いました。僕の顔が相当暗かったんでしょうね。同い年ということもあっていろいろ気にかけてくれました。

フランスで行われている「2003年世界陸上競技選手権大会」のテレビ中継を観ていた時、沖野くんも陸上をやっていたことを知って、共通の話題ができたことが嬉しかったのを覚えています。そこで彼が僕に対して「もう一回陸上やったらどう?俺が支えるから」ととても強く背中を押してくれたんです。

「俺が支える」という言葉には覚悟のようなものを感じますね。

そんな感じでしたね。僕は彼と出会って人生が180度変わりました。彼のおかげで、義足や周りからの視線、障がい者に対する考え方が変わりました。僕一人の考え方では知識や情報に限りがあるから、いつの間にかいっぱいいっぱいになってしまってどうしても壁ができやすい。そうならないように、周りの人と触れ合って情報交換したいという考えに変わりました。

沖野さんと出会う前の春田さんは、障がい者であることをどのように感じてたのでしょうか?

僕は15歳という多感な時期に健常者から障がい者になりました。障がい者の僕は、健常者の方にどのように接すればいいのかわからない。健常者の方も僕にどのように接すればいいのかわからない。だから、お互いが透明人間であるかのように感じていました。自然ではないですよね。
今は義足であぐらもかけるようになりましたが、当時はそれも痛かったんです。車の狭い後部座席で足をずっと曲げていなければいけない時にも「痛い」という一言が言えませんでした。
血流が悪くなって痛みが出てしまうんですが、どう言っていいか分からなかった。無知でしたし、同じように周りの方も障がい者と話をする機会がないのでお互いどうしていいかわからない状態でした。だから、周りと距離を置いていましたが、陸上を始めて様々な方と関わるうちに自然に話ができるようになりました。
健常者の方がコーチなので、義足について100%説明しなければ伝わらないんですよ。そういう経験を重ねて、義足や障がいについて人に話せるようになりました。陸上を通して僕自身も成長しましたね。陸上をやっていなかったら殻に閉じこもったままでした。

15歳で骨肉腫の手術をされた当時を振り返って、ご自身にかけてあげたい言葉はありますか?

「もっと普通でいいんだよ。言いたいこと言えばいいんだよ。自分のペースで進みな」と声をかけてあげたいですね。同じ静岡県出身の陸上(障がい者スポーツ)選手でメダリストでもある山本篤さんに「もっと楽に生きればいいよ。春田くんは周りに気を使ってすごく丁寧に話をしてるけど、それを続けていると疲れちゃうよ」って言われたんです。確かにそれまでは自分のペースではなくて、全て相手のペースに合わせて行動していた気がします。
周りの人から気づかされることが多いですね。僕はカッコつけて自分のスタイルを貫くというタイプではないので、良いことはどんどん取り入れて、反対に駄目なことは変えていくようにしたいと思います。

当時、ご家族とはどのように過ごされましたか?

家族はそれまでと同じように接してくれました。僕を病人扱いしなかったし、病気になる前と同じ家庭環境で闘病生活をしていたので、それまでと同じ雰囲気でいてくれたことが一番嬉しかったです。僕自身も自然に過ごせました。反対に僕が家族を心配していた気がします。入院や抗がん剤治療のために莫大なお金がかかってしまったので何も言えなかったし、抗がん剤治療に耐えて頑張るしかないと思いました。

現在は週三回のペースで全身マッサージに、そして鍼灸も受けられているようですが。

鍼は「この筋肉本当にダメだな」っていう時にやっています。例えば、ふくらはぎがカチカチで、指圧では回復が難しい深い部分まで固くなってしまった時は、鍼をしたりお灸をしたり、ツボに刺激を与えてバランスを整えています。
三年間同じ先生に診てもらっています。一緒にウェイトトレーニングにも行くんですよ。でも、僕はボディビルダーではないので、見た目が美しい筋肉は必要ありません。陸上選手として必要な筋肉作りには、ただ筋肉にかける負荷を上げていけばいいというものではないんです。陸上に活かすウェイトトレーニングは難しいんですよね。重いものを持つとどうしても全身に力が入ってしまって、全身に疲労が溜まります。そうすると、トラックで行うランニングの練習にも支障が出てしまうので、一つ一つのパーツに効くようなトレーニングをしています。

先生には、今のコンディションを話してアドバイスを求めます。あと、僕はずっと同じ練習メニューを繰り返していると迷いが出てくるんです。もうこれやっても意味ないのかなとか。そんな時にアドバイスをもらうようにしています。行き詰まったり変化が欲しかったりする時はオリンピアンの方や健常者アスリートの方、トレーナーの方に話を聞くようにしています。

専属のトレーナーはいらっしゃるんですか?

専属トレーナーはいませんが、治療院の先生がその役割をしてくれています。先生も子どもの頃、陸上教室に通っていたので、陸上競技特有の体の疲労を理解してくれてとても有り難いです。その日にやった練習内容を伝えただけで、「この筋肉に疲労が来ますね」というように理解してくれます。

パラリンピック選手として、鍼灸師に期待することはありますか?

体のメンテナンスはすごく重要です。メンテナンスを怠ると、選手として潰れてしまいます。ぜひ鍼灸師の方に練習現場に来ていただいて、選手の体を診てもらいたいです。そして、感じたことを選手にどんどん言っていただいて、選手もアドバイスを受け入れて変えるべきところは変えていく必要があると思います。鍼灸師の方と近い距離で語り合いたい。気軽に話し合える方が選手も鍼灸師の方も気を使わないでいられますからね。

最後になりますが、「東京2020パラリンピック競技大会」へ、今抱いている思いを教えてください。

障がい者アスリートを近くで見る絶好のチャンスです。僕が「北京パラリンピック」(2008年)を観に行って、「ロンドンパラリンピック」(2012年)に出場して感じたのは、観客席に日本人の方があまりいなかったことです。メディアでも大きく取り上げてはもらえず、寂しいと思いました。「東京パラリンピック」では、僕たち選手側もパラスポーツをより多くの方に理解していだだけるチャンスなので、ぜひ国立競技場へ足を運んで実際にご覧いただきたいです。
日本人選手である僕が言うのは恥ずかしいし悔しいですが、特にアメリカ選手のパフォーマンス力がとても高いです。世界のトップアスリートたちのパフォーマンスに「障がい者がここまでできるのか!」ときっと驚かれると思うので、是非そういう視点で観ていただけたら嬉しいです。
日本記録を出してもなお自身の成長を止めない春田選手。自ら積極的にアドバイスを求め、素直に受け入れて、行動に移す。それが、アスリートとしても人としても輝き続ける秘訣なのだと感じました。
「東京2020パラリンピック競技大会」の延期が決定しましたが、選手の皆さんがベストコンディションで最高のパフォーマンスを発揮できる大会となることを期待し、春田選手に、そして世界から集まるトップアスリートたちのパフォーマンスに注目したいと思います。

取材会場:藤枝総合運動公園 陸上競技場(静岡県藤枝市原100)

 

春田純(はるた じゅん)氏プロフィール

1978年生まれ。静岡県出身。15歳の時、骨肉腫により左膝から下を切断。
25歳の時、義肢装具士の沖野敦郎(おきの あつお)氏と出会い、陸上(障がい者スポーツ)選手として陸上競技への挑戦を決意。
2010年 「アジアパラリンピック競技大会」出場(200m3位、400m3位、4×100mリレー3位)
2011年 100m日本記録(11秒95)をマーク
2012年 「ロンドンパラリンピック競技大会」出場(100m予選敗退、4×100mリレー4位)
2020年 「東京パラリンピック競技大会」出場に向けトレーニング中